今回ご紹介するのは、弊社創業(2005年)からまだ間もない2008年に、“クリスマスツアー”で訪れたドイツ中部の町アイゼナハ(Eisenach)の世界遺産ヴァルトブルク城です。
ドイツのお城といえば、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルと言われているノイシュバンシュタイン城を真っ先に思い浮かべるでしょう。そのモデルが、ヴァルトブルク城だとされています。(*1)
ヴァルトブルク城はドイツのお城の歴史や建築の上でとても重要な意味を持っています。
(*1)ノイシュバンシュタイン城の城主バイエルン国王ルードウィヒ2世は、1867年にヴァルトブルク城を訪れて、建築家に城のスケッチをさせています。ほかの城も見学しましたが、ヴァルトブルク城の《祝宴の大広間》はワグナー作曲「タンホイザー」の舞台でもあり、ノイシュバンシュタイン城の《歌人の間》と比べてみるとモデルとしたことがとてもよくわかります。
アイゼナハの町はドイツのちょうど真ん中にあります。人口はおよそ42,000人、チューリンゲン州に属し、ドイツ統一前は東ドイツでした。アイゼナハという町の名前はほとんどの皆さんはご存じないかもしれませんが、この城が宗教改革の歴史的舞台だったというと、ピンとくる方がおられるかもしれません。
現在の城は何世紀もの間に改修されていますが、12世紀に建てられたパレスと呼ばれる建物は現存するロマネスク建築の傑作と評されています。
中世のキリスト教というと、映画《薔薇の名前》を思い浮かべます。これは14世紀の物語ですが、《お金を払えば罪が免れる》という免罪符(めんざいふ)が乱売されるようになりました。
「神の救いは教会ではなく、聖書の中にある」と宗教改革を訴えたルターは、1521年のヴォルムス帝国議会の決定により追放され、ザクセン選帝侯の保護を受け、ヴァルトブルク城にかくまわれました。
当時、ラテン語で書かれた聖書はごく一部の人しか読めない時代でした。
そこで彼は新約聖書のドイツ語訳を行いました。印刷技術の発展により、ドイツ語に訳された聖書が広く庶民にも読まれるようになり、カトリックと別れ新たにプロテスタントが生まれ広まったことは、皆様ご存じと思います。
ルターが訳したドイツ語は、現代ドイツ語の基礎となるものだったそうで、言語学的にも素晴らしい業績を残しましたが、彼はエアフルト大学卒。ドイツ最古のハイデルベルグ大学(1386年創立)が有名ですが、エアフルト大学の始まりは1379年でハイデルベルグ大学より古いです。
話が歴史の授業みたいになってしまいました。
~~~閑話休題~~~
このお城を有名にした理由はほかにもあります。
そのうちのひとつは、ワーグナーのオペラ『タンホイザー』の題材ともなった、13世紀の初め頃、ミンネゼンガー(宮廷叙情詩人)と呼ばれる人たちがこの城で歌合戦を繰り広げました。
「ヴァルトブルクの歌合戦」で競い合ったという二人のミンネゼンガー ヴァルター・フォン・フォーゲルヴァイデ(左)とヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(右)(マネッセ写本から)
アイゼナハは、バロック音楽の作曲家バッハ生誕地としても知られています。
このツアーは、全行程列車と公共交通機関を使った女性6人と添乗員だけという小ぢんまりとしたグループで、長距離移動の列車以外はすべて皆さんのペースに応じて添乗員が時間配分を考え、観光を楽しみました。
名古屋からドイツへの玄関はフランクフルト空港。旅の目的のドレスデンとベルリンに乗り継ぐこともできましたが、列車は、ヨーロッパの旅のだいご味でもあります。スーツケースの上げ下ろしも皆で協力すれば、それも旅の思い出です。
アイゼナハは、ドレスデンに行く中継地点として選びました。ドイツのお城に興味のある方にはヴァルトブルク城は見逃せないスポットではないでしょうか。
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